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■理系麻雀は砂漠化への道?

 岸本プロはさしたるチャンスもなく敗退しました。これまで彼の麻雀をこと細かに追ってきましたが、どのように感じられたでしょうか。くりかえしになりますが、ぼくとしては職人技を廃した工学的な麻雀といった印象です。

 麻雀とはつまるところ、バラバラな配牌からアガリ形を組み合せるゲームですから、統計的に対策を立てることができるはずです。理系人間が本気で麻雀を解析したらどんな打ち方になるのだろう。そんな疑問をずっと持っていましたが、どうやら今回はその答えのひとつが与えられたようです。岸本プロの出した結論は、いってしまえば単純な麻雀ということですね。

 かつて阿佐田哲也氏が「Aクラス麻雀」を書いて以来、麻雀は文学の影響下にありました。この本をひと言で要約すると、「麻雀はツキを奪い合うゲームであり、技術とはツキをあやつる技術である」となります。いまでも40代以上の人が語る戦術は、ほぼこの枠内にあるといえるでしょう。その特徴は麻雀と人生を重ね合わせることで、すなわち「麻雀は人生の縮図である」ということになるのです。

 しかしぼくにいわせるなら、ツキという概念はゲームではなくギャンブルの発想であり、つまり人生観からの発想です。人生にツキがあるかないかといったらそれはもちろんあるのですが、しかしツキがサイコロの目を決めるかどうかといったら、それは信念の問題にすぎないと思うわけです。

 しかし「ツキを信じないなら岸本プロと同じ麻雀を打ちなさい」といわれてしまうと、自分が信じてきたのはこんなものだったのかという、小学生時代に「鉄腕アトム」を愛読していた科学少年のような気分になります。あるいは人生の晩年になって初めて女性と結ばれた童貞哲学者の気分です。

 数年前に「パラサイト・イブ」という小説(映画化されました)が日本ホラー小説大賞を受賞したとき、選考委員の荒俣宏氏が「最近のホラーは理系ものばかりで、文系のホラーにも頑張ってほしい」と講評していました。「パラサイト・イブ」はミトコンドリアがどうたらという生化学もので、他の作品も理系ものばかり。鬼や呪いが出てくるタイプはそのころ下火だったのです。

 世の全般にそうした傾向はあるようで、麻雀でツキの流れを考えるのが文系のアプローチだとするなら、岸本打法は理系のアプローチであり、こういった麻雀が増えてくるのは時代の流れでしょう。

 麻雀の打ち方に理系が出現するのはすばらしいことですが、それなら日本の高度成長を支えた町工場の技術力を感じさせる緻密な麻雀を望みたいと思います。文学から脱出した結果が原始麻雀になってしまうなら、それは悲しい結末だと思うのです。と、こんなふうに感じるのは、ぼくもまた旧時代の人間というこことなのでしょうか。


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